アジア人の描写の多面性

トレンド / リアリティ
Erdark
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Yuri Endo
6月 6, 2022
大衆文化、とくに映画やテレビのシリーズ番組におけるアジア人描写の現状を見ると、アジア人に対するイメージの画一性や、その打ち破り方がよくわかります。ゲッティイメージズの調査であるVisualGPSでは、消費者は世界的に、マーケティングや広告よりも、映画、テレビ番組、ソーシャルメディアのほうが多様性を2倍も目にする傾向にあるようです。つまり、マーケティングや広告の業界には、追い付かなければならないことがたくさんあるということです。私たちが周囲の世界をどのようにとらえるかは、スクリーン上の物語や目にする広告によって影響されやすく、現実の認識が再形成されることになります。そうした視覚情報の流れは、他人や自分自身の見方を変えるほか、夢や願望の制約や障害になることもあります。
アジアの物語は世界規模で視聴されるようになっていますが、残念ながらアジア人の登場人物は、まだ脇役か小さな役回りにされることが多いようです。もしくは、従順な人物、狡猾な女性、数学の天才、オタクといったお決まりのタイプでしか描かれてきませんでした。

ある調査によると、2019年の年間興行収入上位100作品に登場するアジア人やアジア系アメリカ人、そして太平洋諸島民は、4分の1以上が映画の終わりには死んでいたそうです。[1]直近では2022年の『バットマン』があります。劇中で唯一登場するアジア人は、地下鉄のシーンで暴行を受けてバットマンに救助されるのですが、これは、アジア人ヘイトクライムが急増する中、多くの人をいらだたせる可能性をはらんでいます。アジア人を嘲笑し、脇に追いやるような単純化されたアジア人像を押し出すストーリーは、実生活においてアジア人に対する認識や行動を変化させ、その過程で有害なイメージを植え付けることになりかねません。ジーナ・デイビス研究所の調査によると、世界中で消費されるメディアの大部分は米国で作られているとされています。[2] 1つの国が世界中の視覚認識に影響を与える状況では、国際的な文化の見え方が偏ったものになっていく可能性があります。
悪気はないのかもしれませんが、アジア文化を表現する際に起こりうる問題があります。それは主に、多種多様な文化を1つのものとして扱っていることと、舞台背景や物語にふさわしくない配役と見た目になっていることです。例えば、『クレイジー・リッチ!』のような米国で有名な映画は、アジア市場では同じように賞賛されず、シンガポール文化の偏った描写や人々の過度な単純化に批判が集中しました。同様に、『ラーヤと龍の王国』や『モアナと伝説の海』では、複数の地理的・文化的な影響を混ぜ合わせて、現地の人が共感できないような過度な文化描写がなされています。アジア人の日常生活のあり方は、その質・量ともに、スクリーン上を通した私たちの解釈とはかけ離れているのです。
ゲッティイメージズでも、オーストラリア、日本、東南アジアに関連する最新の人気写真で、お決まりの言葉を見かけます。若くてスリム、明るい肌の色、整髪されたアジア人(職場のものが多い)などです。よく起用されているのは、全体的に見て、中国人、日本人、タイ人が多く、次いで多民族系グループ、白人の順となっています。こうしたビジュアルは、表現されている内容や、スタイリング、そして感情の面が引き続き類似しています。過度に幸せそうな人物が描かれていることが多く、本当の姿を反映しているものは何もありません。どれも画一的で、それぞれの文化とのつながりが希薄です。 

「さまざまな民族や、経歴の異なる人たち、そして容姿の異なる人たちを企業が広告とメディアに起用するだけでは不十分であり、実際のライフスタイルや文化をもっとうまく取り込む必要がある。」VisualGPSの調査では、そのような考えに賛同するアジア太平洋地域の消費者は、5人のうち4人にのぼり、5人に3人は、体格、ライフスタイルの選択、人種、民族、性自認、障害、セクシュアリティに基づいて差別されたことがあると感じています。こうした結果から、アジアの文化や人々が、いかに多様で多面的であるかを認識することが重要であるとわかります。
多面的な要素を持つ人物が登場すれば、多様な背景を持つ人々の物語に説得力が生まれ、他者への理解や受容が促進されることにつながるでしょう。最近、アジア系の俳優が、アジア人役を演じるケースが増えていますが、アジア人役が主役や主題にはなっていません。例えば、『サーチ』のジョン・チョーは、行方不明の娘を探そうとする父親を演じ、『キリング・イヴ』のサンドラ・オーは、元MI5局員を演じています。こうした役は、どのような民族でもよかったはずですが、担当してきたのはアジア人です。

重層的でニュアンスのある描写をはじめ、混血の人たち、多民族、先住民、障害を持つ人、異なる社会経済的背景を持つ人、さまざまな背景の人物が交わる物語など、地域の現状をもっと反映したものも、私たちは見たいと望んでいます。
最近のアジアで制作される物語が国際的な成功を収めたことで、そうした地域の現状を伝える一端を担いました。社会的不平等や社会経済的背景の物語で高い評価を得た『寄生獣』や『イカゲーム』などです。『Girl from Nowhere』は、タイの複雑な文化規範や階級制度を巡った作品です。『Creamerie』は、女性しかいない終末のニュージーランドを舞台に、3人のアジア人女性を主人公にした物語を描いた番組です。最近最も新鮮だったのは、連続ドラマ『Sort of』です。同番組は、ジェンダーがひとつに定まっていないミレニアル世代のパキスタン系カナダ人が、クィアの集まる酒場のバーテンダーと混血家庭の乳母として様々なアイデンティティをまたいで活躍するというもの。『Insecure』に登場するAsian Beaという役も、これまでとは違うアジア人男性の一面を示し、アジア人男性に対する望ましくない固定観念から社会が抜け出すのに一役買っています。『Starstruck 』も固定観念に異を唱える番組です。こちらは、従来の男女の恋愛コメディに見られる作風とは異なり、サモアと東アジアに出自を持つ主人公が起用されています。‑‑登場人物が物語の展開とともにどのように変わっていくのかワクワクさせられる『パチンコ』もあります。同作では、在日韓国人について語られることのなかった物語が描かれています。
ただし、アジア人の描写だけではなく、あらゆる人たちの描写も忘れてはいけません。『CODA』『ウエスト・サイド物語』『リコリス・ピザ』『ミラベルと魔法だらけの家』『ドライブ・マイ・カー』『ブリッジャートン家』『Everything Everywhere All at Once』など、最近話題になった映画や連続ドラマでは、登場人物の背景情報をどのように理解して人物像が描かれていたでしょうか? 民族を特定したキャスティング、肌の色に基づく差別、人物の属性が絡み合って生まれる状況、体型といったことに対して進んだ理解を示したこれらの作品は、さらに微細でニュアンスを伴う方向へと世論を導いています。そこで立役者になれるのは誰なのでしょうか? この状況をブランドも理解しなければなりません。そうすることで、現実を適切にとらえたビジュアルを選び、世界規模で変化していくカルチャーに応じられるようになるでしょう。
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